ベートーヴェンの功績
よくベートーヴェンは偉大だ!とかロマン派に導いたのはベートーヴェンだ!等
学校の音楽の授業でも聞いたことがある人は多いと思います。
クラシックをそこまで聴いたことの無い人でも知っている人は多いはずです!
しかし、何がどうすごい人なのか、何をした人なのか知らない方も多いかと…
そこで今回はベートーヴェンについてざっくりと書かせて頂ければと思います!٩( ´ω` )و
Contents
ベートーヴェンの生い立ち
ルートヴィッヒ・ファン・ベートーヴェン (1770〜1827)
1770年 ドイツのボンと言う街に産まれました。
ベートーヴェン一家は音楽家が多く、彼の祖父は宮廷楽長でした。
父もテノール歌手だったので、幼い頃からクラヴィーコードを習っていました。
(なんと七歳で演奏会の舞台に立つほど!)
しかし父はアルコール依存症でベートーヴェン一家の家計はあまりよろしくなく…
1787年 16歳の時、あのモーツァルトのもと勉強すべくウィーンに訪れていた時
母が結核の為亡くなったと聞き、ボンに戻ります。
一家の長男だったベートーヴェンの肩にはアルコール依存症の父と弟達が…(´;ω;`)
そんな中でも作曲の勉強やピアニストとしてがんばり、
1792年 再びウィーンを訪れ、ハイドンさんに弟子入りします(既にモーツァルトは亡くなっている)
しかし、時の人だったハイドンは忙しくあまりベートーヴェンの勉強を見ることが出来ず、
師事することをやめてしまう。
その後ベートーヴェンは、自作の即興演奏でピアニストとして成功するが…
1800年難聴が彼を襲います
1802年 自殺を考え遺書を書く(ハイリゲンシュタットの遺書)が作曲家として生きることを決意
1804年 交響曲第3番を作曲以後「交響曲」に新しい風を吹き込んでいく事に!
交響曲にもたらした革命!
さて!「ベートーヴェンさんが一体何をしたの?」と言う部分に入っていきます!
そもそも交響曲はハイドンさんが形つくりましたが、
その「交響曲」を至高の存在に持っていったのはベートーヴェンさんなのです!
1つ目 演奏時間の拡大
モーツァルトやハイドンさんの交響曲は大体二十分程度の演奏時間だったのですが、
ベートーヴェンさんの交響曲第3番の演奏時間は約45分!∑(๑º口º๑)!!
交響曲第9番に至っては約70分程!
それまでは交響曲は使い捨てされていた程今より演奏会の中心ではありませんでした
ベートヴェン以前の作曲家は交響曲の数は多く作りましたが、重要視している作曲家は少なかったのでしょう
オペラの前の開幕ベル代わりに使われていた程です
ハイドンも交響曲は100曲以上作りましたが、ベートーヴェンは全9曲!!
その分それぞれの交響曲が濃密に、そして演奏時間が拡大しました
交響曲にかける想いが感じ取れますね
2つ目 曲の構成の変化
ベートーヴェン以前に作られた交響曲は「メヌエット」というものが入ってました。
メヌエットとは宮廷で踊られていた三拍子の舞踏(18世紀に流行)
メヌエットの中間部にはトリオというものが含まれてるのですが、
これは簡単に言うと貴族が庶民を宮廷に招待している風景を曲に描いたものと言われております
しかしベートーヴェンさんはこの風景を、、、叩き壊します!(言い方( ˊᵕˋ 😉
交響曲一番の三楽章はメヌエットと表記されてはいるものの、
テンポは「Allegro molto e vivace」
まあ、めっちゃ速く演奏して!って事です
そして交響曲第2番からは「メヌエット」ではなく「スケルツォ」に!
「スケルツォ」とはイタリア語で「冗談」という意味です!
構成的にはメヌエットもスケルツォもトリオを挟む三部構成と言う点は同じなのですが、
そもそも踊りの音楽ではなく、テンポも速い!(てかそのテンポで踊れない!)
スケルツォは2,3番にしか書かれておりませんが、交響曲8番以外は速く演奏することを要求してます
これは恐らく宮廷貴族からの脱却を測ったと考えられます
3つ目!オーケストラの拡大
副題で「オーケストラの拡大」と書きましたが、人数の拡大ではありません!
オーケストラ編成で使う楽器を拡大したのです!
有名なのは交響曲第5番でピッコロ、コントラファゴット、トロンボーンを初めて使用しました
しかし!実はこれよりも前に個々で交響曲での使用例があるそうです…
ただベートーヴェンさんが第5番で使用したことにより、
後にあらゆる交響曲で使用されるようになったのは事実でしょう!
交響曲第九番では合唱を取り入れました!
今まで他の作曲家がやらなかったことを次々とやってのけたベートーヴェン!
この様に新たな事にチャレンジしたことによりロマン派への道を切り開いていったのですね!
作曲家の新しい道を切り開いた?
ベートーヴェンさんは作曲家の新しい生き方も切り開いたのです!
それまで作曲家は貴族や、協会に仕える事が常識だったんですが、
ベートーヴェンさんは誰にも仕える事なくフリーで作曲活動した初めての作曲家だったのです!
それにはベートヴェンさんの生きた時代も関係しています
時代は18世紀末〜19世紀へと時代が大きく動いた時期
1789年にはフランス革命が勃発し、ベートーヴェンが活躍していたウィーンでも王侯貴族の体制が安泰では無くなったのです
産業革命もあり市民階級が力を手にしていった時代
勿論ベートーヴェン自身が王侯貴族の元パーティのbgmを書くことをプライドが許さなかったのでしょうが
このように貴族に仕える事なく『芸術家』として活動できたのは激動の時代だったからこそでしょう
交響曲第5番「運命」は「運命」では無い?!
このタイトルは「どういうこっちゃい!」と思うかもしれませんが、
交響曲第5番は「第5番」でしかないのです!
「運命」と言っているのは、主にアジア圏の人が勝手に言っているのであり、
ベートーヴェンさんは「運命」という副題をつけたわけではありません!!!\_(・ω・`)ココ重要!
因みに交響曲第6番の「田園」はベートーヴェン本人がつけた副題です。
5番に関しては、ベートヴェンが「運命は斯くの如く扉を叩く」と言ったと、
伝えられただけであり、{運命}というのが正式タイトルではありません!
ただ運命と言っても日本で使う分には伝わると思うので、神経質にはならなくて良さそうです(笑)
ベートーヴェンの恋事情
{エリーゼのために}という曲はベートヴェンが愛した人に捧げられた曲だ!という話は聞いたことがあるのではないでしょうか?
この曲はベートーヴェンがテレーゼ・マルファッティという人に捧げた曲。
その他にも、ピアノ・ソナタ第14番[月光]もジュリエッタ・グイッチャルディという人に捧げられています。
そう!ベートーヴェンさんは恋多き人だったのです!
その多くが年下の女性で、ピアノの教え子にも惚れることが多かったとか…(。・о・。)
そして、ベートーヴェンさんの恋愛事情で有名なのが、「不滅の恋人」問題!
ベートーヴェンさんが送り合っていたラブレターによると、相手とはかなり深い関係で、
結婚も考えていたのでは?と思わせる内容だったとか!
しかし何故これが有名かと言うと、実は相手が分かっていないのです!
{月光}を捧げたジュリエッタの説やアントーニエ・ブレンターノという人ではないか?
など様々な説が考えられてきました。
今も未だ確定的な人は分かっていないのです。
謎の不滅の恋人の正体…それがわかる日は来るのでしょうか…( ̄▽ ̄)
まとめ
ベートヴェンは、今まで常識だったことを破り捨て、交響曲に新しい可能性を与え、
生涯誰にも仕える事なくフリーで作曲活動した初めての作曲家。
ロマン派へ導いたというのは、新しい事へ臆することなく挑戦したベートーヴェンの作品や生き方に現れているという事です!
今回はベートーヴェンについてざっくり書かせて頂きましたが、いかがでしたでしょうか?
私もベートーヴェンさんの様に、新しい事へ挑戦できるよう頑張らねば!
という事で今回はこのへんで!( ´ ▽ ` )ノ
習志野市・津田沼・谷津 和田バイオリン教室♪