19世紀音楽の論争:絶対音楽VS標題音楽 ブラームスとワーグナーの対立??

皆さんは音楽はどのようなジャンルがお好きでしょうか?

音楽にも様々な種類があり、それぞれ好みの音楽は違うかと思います

そうなるとどの音楽が至高のものであるかなどの論争が起きる事も( ̄▽ ̄;)

特に新しい形の音楽が発展すると論争に発展しやすいものです

音楽史の中では度々そのような論争が起こっております(´-ω-)

という事で今回は19世紀の音楽論争についてざっくりと書かせて頂きます!

それでは参ります!٩( ´ω` )و

19世紀の新しい音楽

19世紀に入ると音楽のあり方に変化が出てきます

中でも大きく変わったのは「音楽の持ち主」でしょう

時代は革命・独立の時代、

音楽家はそれまで貴族に仕えていましたが、19世紀になると音楽家も「独立」するようになります

つまりは、依頼されていた音楽から感情や個性を表現する音楽へと変化していきます

そのような音楽以外の内容(物語・風景など)を音楽で表現することを目的とした音楽を『標題音楽』といいます

風景や物語(詩など)と音楽が合体したのです!

代表的なのはベルリオーズの「幻想交響曲」です

ちなみにベルリオーズさんはベートーヴェンさんの<交響曲6番田園>に影響を受けたようなのです

ベートーヴェンが標題音楽への種に影響を与えたとも言えますね( °△° )

そして標題音楽を語る上で大事なのは『交響詩』でしょう

交響詩はフランツ・リストが作り出した形式で、特徴としては自由な形式の単一楽章の曲

もちろん風景や物語を表現する「標題音楽」の一つです

代表的なのは創始者であるリストの<レ・プレリュード>

有名どころで挙げるとスメタナさんの<モルダウ>も交響詩です

さらに今回の主要人物、ヴァーグナーさんも標題音楽の代表とされています!

ヴァーグナーさんは『交響詩』や『表題付交響曲』を作った訳ではなく、

楽劇』という形式を作り上げます

楽劇はオペラ共通点を持ちながらも、違う点としては

それまでのオペラは簡単に言うと、歌われる箇所が明確に区切られていました

ヴァーグナーさんの楽劇ではそのような区切りを排除し、劇の流れを止めないように、音楽が連続して流れる『無限旋律』と言う作曲技法が楽劇の特徴です( ¯꒳¯ )ホ-ン

また、特定の登場人物や感情、風景などを表す旋律を作品の中に登場させ、

登場人物の感情などを音楽で表現する『ライトモチーフ(指示動機)』を使い、聴き手に登場人物を覚えやすくしたり、心理状況を伝えやすくします

よく例えられるのは、スターウォーズの「ダースベーダーのテーマ」のようなものです(´-ω-`)ナルホドナ

伝統を重んじる音楽

19世紀になり標題音楽が作曲されるのに対し、それまでの音楽形式も大切にされます

その音楽こそ標題音楽と対の存在である『絶対音楽』と言われる音楽形式です

音楽は音楽そのもので完結し、その中に物語や風景などは介入しない、作曲形式にもルールが存在します(ソナタ形式など)

代表的な作曲者としてはヨハン・セバスチャン・バッハ

さらに!ここでも登場ベートーヴェン!(◍︎ ´꒳` ◍︎)b

ベートーヴェンさんは絶対音楽の代表でもあり、後期は標題音楽的な曲も作り、19世紀ロマン派への橋渡しをしているのですね

そして今回のお話をする上でもこの作曲家を忘れてはなりません

その名も、ヨハネス・ブラームス!٩( ´ω` )و

ブラームスさんは前述したバッハやベートーヴェンを尊敬しており、その伝統を受け継ぎ、形式や構造の美しさを追求しました

ブラームスの抗議文

19世紀ロマン派に標題音楽を作曲する作曲家は「新ドイツ派」と呼ばれていました

標題音楽を作らなかったブラームスさんは、新ドイツ派の芸術感に否定的な感情を持つようになりました

そんな中『音楽新報』という音楽雑誌でリストやベルリオーズ、そしてこちらも標題音楽の代表者ヴァーグナーらの新しい音楽の形式を新時代に相応しいとして積極的に取り上げていました

ブラームスさんは納得いくはずがありません…

というのも『音楽新報』はブラームスの恩人であるロベルト・シューマンが創刊者であり、ブラームスをはじめシューマンさんと関わりを持っていた者はシューマンの意志ではないと感じます

そんな事もあり、1860年ブラームスはヨアヒム、グリム、ショルツらと共に新ドイツ派に対して声明文を出します

この声明文ではヴァーグナーらを名指ししてはいませんが、彼らの作品が音楽の奥深い本質に逆らうものとして批判します

つまり、名指しはしてないけどヴァーグナーらの事を批判していることはバレバレな感じだったのです

この声明文により、「新ドイツ派(標題音楽)VS反新ドイツ派(絶対音楽)」の形が明らかになりました

バチバチです…

ブラームスVSヴァーグナー

さて!前章で『ブラームス(絶対音楽)VSヴァーグナー(標題音楽)』の構図が出来上がりましたが、

実際にブラームスとヴァーグナーが直接戦った訳ではありません!!!

どちらかと言うと、それぞれの支持者たちが口論していたようです

ではそれぞれの代表として挙げられている2人の作曲家はどうだったのでしょう?

まずはヴァーグナーから見ていきましょう

まず、ヴァーグナーのブラームスに対しての評価ですが、あまり良い評価はしておりません

ヴァーグナーはブラームスの事を室内楽の作曲家程度にしか思っておらず、

いくつかのブラームスの作品に感嘆しつつも、良い評価はしようとしませんでした

ではブラームスさんは?(´・ω・`)?

絶対音楽の代表ブラームスさんは、上述したように新ドイツ派(標題音楽)に対して否定的な声明を出しています

しかし、完全に標題音楽を嫌っていたかというと、どうやらそうでは違うようなのです

ブラームスさんはヴァーグナーさんの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」をブラームスさんの友人から頼まれてパート譜の作成を行います

そしてその演奏会をブラームスさんも聴きます

因みに演奏会はヴァーグナー自身の指揮で執り行われました

ブラームスさんはその演奏会では「初めから終わりまで彼は冷たく控えめな態度をとっていた」と伝えられています

ヴァーグナーの演奏会に対し冷淡だったようです…

しかし!演奏会後にブラームスが友人であるヨアヒムにあてた手紙には、

私はヴァグネリアンと呼ばれるかもしれない

と手紙で思いを伝えています

これはツンデレですね(◍︎´꒳`◍︎)

『ニーベルングの指輪』の中の『ラインの黄金』に対しては「冷たいものが背筋を走るようだ」と伝えるほど低く評価しますが、

結局「指環はどうなるのか、それだけはどうしても知りたい!」と関心を持ったりもしてます

つまり、ブラームスさんは全面的にヴァーグナーの音楽作品を否定していた訳ではなかったようなんですね〜

まとめ

19世紀の音楽論争として「絶対音楽vs標題音楽」を軸にざっくり書かせていただきました

19世紀になると音楽はより自由な形になり、詩や風景などを音楽で表現する標題音楽

それに対してそれまでの伝統的な音楽形式を大切にし「音楽は音楽のみで完結される」とする『絶対音楽

それぞれの代表としてブラームスさんとヴァーグナーさんを取り上げました

本来はもっと登場人物がおり、それも交えて書かせていただこうとも思いましたが、そうなると結構複雑になりそうだったので割愛させて頂きました( ´・ω・`)

最後に触れておきたい人物としてはエドアルト・ハンスリックでしょうか

ハンスリックはブラームス派の音楽批評家で、度々ヴァーグナーらの新ドイツ派音楽を批判していました(ぶっちゃけ中心人物の1人です笑)

今回音楽論争について書かせて頂きましたが、この論争は決着がついておりません

現在でも絶対音楽と標題音楽でどちらが良いかなど論争は無いですよね?

19世紀にこのような論争が起きたのは、勿論標題音楽を掲げる新ドイツ派が出てきたこともありますが、時代によっての音楽の扱われ方も関係しています

これについてはまた別でいつか書かせて頂きたいですが、少しだけ書くと19世紀になり音楽雑誌や音楽批評が生まれたことは無関係では無いでしょう( ˘ω˘ )

今は様々な音楽ジャンルがあり、それぞれに良さがあり、自分の好みの音楽を聴くことができる時代です。

音楽を聴く上で好き嫌いはあるかと思いますが、様々な音楽を聴いて感想を語り合うのも楽しいものです

皆さんもぜひ、たくさん音楽を聴いて、不穏な空気にならない程度に語らいましょう(*^^*)

それでは今回はこの辺で(*´︶`*)ノ

習志野市・津田沼・奏の杜・谷津 和田バイオリン教室♪

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