交響曲の進化論🐒
交響曲の進化論
皆さん突然ですが、クラシックコンサートのメインと聞くと何を思い浮かべるでしょう?
「協奏曲」、「オペラ」、「弦楽四重奏曲」等色々ありますね!
今はゲーム音楽のコンサートもあったりしますね(*´-`)
数あるジャンルの中今回は「交響曲」の歴史についてザックリ書かせていただきます!٩(。•ω•。)و
交響曲とはなんじゃらほい!
交響曲の歴史を語る上で知っておきたいのが「交響曲」の構成です!
「おいおい、交響曲の構成くらい分かっとるわい!ヽ(`Д´)ノ」
と思ったそこのあなた!
今の交響曲の形式と初期の交響曲の構成は違うのです!
ではここで現在の交響曲の構成をおさらいです
- 一楽章(ソナタ形式)
- 二楽章(緩徐楽章)
- 三楽章(メヌエットorスケルツォ)
- 四楽章(ソナタ形式)
基本的にはこんな感じですね!
ではこの形式に収まるまではどの様な形だったのでしょうか?
次のブロックで見ていきましょう!
交響曲の先祖
前のブロックお話した交響曲の形式になるまではどの様な形だったのでしょう?
ここでは二人の作曲家が出てきます!
まず一人目はフランスの作曲家ジャン・バティスト・リュリ(1632-1687)
リュリさんが17世紀半ばから作曲したのがウベルチュールというもの☝️
- 緩ー急ー緩 の三部形式
- すべて途切れなく演奏
- すべて同じ調
- 短調で作られることが多かった
いかがでしょうか?普段聴いている交響曲の形と全然違いますよね?(´・ω・`)?
このウベルチュールに遅れること数十年
シンフォニーアという形式が作曲されるようになります!
ここで二人目の作曲家登場!
アレッサンドロ・スカルラッティ(1660-1725)
シンフォニーアとは1680年代以降にスカルラッティが作曲したものを指す言葉になります。
シンフォニーアの特徴は
- 急ー緩ー急 の三部形式
- それぞれ独立して演奏
- 最初と最後は同じ調で作られた
- 長調で作曲されることが多かった
シンフォニーアと言う名前からして現在聞き慣れる形式に近づきましたね!
このシンフォニーアの中に当時流行っていた「メヌエット」が三楽章として入ったらもう知っている交響曲です!
因みにウベルチュールはフランス語で「開くもの」という意味
シンフォニーアは日本語で言うとイタリア風序曲
この事からどちらも演奏会の最初の方に演奏されていたんだな、と理解できます
交響曲は「メイン」では無かった?!
前のブロックでウベルチュールとシンフォニーアの意味について触れましたが
その共通点はどちらもオペラの始まる前に演奏されていたのです!
そもそも、ウベルチュールとシンフォニーアが作曲されていた時代はバロック時代!
バロック時代に流行っていたジャンルはオペラだったのです\_(・ω・`)ココ重要!
(この件についてはまた別の機会に書かせて頂ければと思います😊)
つまりこの時代の交響曲は演奏前の前座の様な役割だったのです!
ハイドンと交響曲
交響曲を語る上で忘れてはいけないのがハイドン大先生!
交響曲の父とも言われているハイドンは何故交響曲の父なのか、紐解きましょう!٩(。•ω•。)و
ハイドンは、1759年に最初の交響曲を作曲し、
その後約100曲の交響曲を作曲してます!(すごい!)(°_°)
ハイドンが初期に作曲した交響曲の中にはまだ「シンフォニーア」が作曲されてたが
1771年から四楽章構成の形式に定着し始めます。
そうです!現在の交響曲の形を作ったのはハイドンさんなのです!(交響曲の父ですね)
しかしハイドンさんは交響曲をさらに出世させます!
元々ハイドンは1761年から30年間エステルハージ家に仕えており、作曲活動をしていたのですが、
ハイドンが60代の時ニコラウス・エステルハージが亡くなってしまい、
長年仕えたエステルハージ家を離れます。
その後ロンドンでバイオリニストのヨハン・ペーター・ザロモン(1745-1815)
と共に演奏会を開きます!
その中のプログラムに交響曲が入るのですが、
ロンドンの聴衆からアンコールを求められるほど大成功しました!
このコンサート以降ただの前座に過ぎなかった交響曲が、演奏会聴きに行く目的に少しずつ変わっていくのです!
まとめ
と!こんな感じですかね
いかがだったでしょうか?
今回は交響曲についてザックリと書かせて頂きましたが、
ハイドンさんのエステルハージに仕えていたことや、何故イギリスで交響曲だ成功したのか等
特にこの後ベートーヴェンさんの力により交響曲は至高のものへと押し上げられますが、
それについてはまた別の機会に!
それでは今回はこのへんで!( ´ ▽ ` )ノ